投 稿 鍵山眞由美
HP編集 中村一彦


シンガポールは飛行機の乗継地点。今までは単純にそう思っていました。3年前、長女一家がシンガポール駐在となり、一度は観光してみようと思い立ちました。実際に訪れてみて、シンガポールがさまざまな文化が溶け合う、華やかで生き生きとした「麗しの国」であるということがわかりました。今回は2025年4月に3泊で訪れたシンガポールのアラブ・ストリート、リトルインディア、プラナカン地域についてのレポートです。

日本ではなかなか見ることの出来ないモスクが見たくて、まずはアラブストリートから。シンガポールは公共交通機関が発展しているので、どこに行くにも便利です。今回はバスで行くことに。バスの中のアナウンスは聞き取りにくく、運転席上の電光掲示板もバスにより、あるとは限りません。娘にバスのアプリの写真を送ってもらい、目的地までアプリで示されたバス停を数えながら行きました。写真はまるで模型のようですが、こちら、実写です!


これは何だと思いますか?バスを降りてすぐに目に飛び込んできたのはイスラム教のお墓です!モスクが壮大なのにお墓は意外と地味!イスラム教徒にとってこの世は仮の姿。亡くなってからが本当の人生だそうです。そのようなわけでお墓は至ってシンプル。そしてイスラム教の理念である平等を重んじ、階級や貧富の差によるお墓の優劣がありません。


アラブストリートの歴史は19世紀にアラブ系商人がこの地に渡り、貿易に従事したことが始まりです。19世紀中頃に、大英帝国がシンガポールを統治するようになると、民族ごとに居住区が割り振られ、この地がアラブ系のコミュニティとして指定されました。異国情緒たっぷりの道を抜けると、シンガポールで最大、最古のサルタン・モスクに到着!1824年にシンガポール初代君主により建設され、およそ100年後に現在の姿に改装されました。ドーム土台の装飾には貧しいイスラム教徒が寄付したガラス瓶の底が使われているのだそうです。


少し離れたところにあるキリスト教とイスラム教の建築が融合したように見える珍しい様式のハジャ・ファティマ・モスク。写真からは分からないのですが、奥の方にイスラム風のドームがあります。19世紀半ば、マレー人の実業家の女性、ファティマがイギリス人の建築家に作らせたとのこと。ファティマというとカトリックの「ファティマの聖母」で有名ですが、この女性の名前は、預言者ムハンマドの娘さんの神聖な名前に由来しているとのことでした。


少し離れた所にあるブルーのタイルが印象的なマラバール・モスク。こちらは、マレー系・アラブ系などの多様なイスラム教徒が集まるスルタン・モスクとは異なり、独自の文化を持つ、インド南西部のマラバール・イスラム教徒のモスクです。鮮やかなスカイブルーの外壁には2万枚もの青いタイルが貼り合わされ、金色のドームとのコントラストが美しく、必見のモスクです!ドーム先端の金色の月星が可愛いらしく、トルコの国旗に似ているので、トルコ系の人たちのためのモスクかと思いきや、そうではありませんでした。


アラブストリートとリトルインディアの堺にあるアブドゥル・ガフール・モスク。様式もアラブ式とインド式を融合させた建築で、インド系イスラム教徒たちのためのモスクだったとか。白い壁にグリーンの星のコントラストがおしゃれ。塔の先端にはやはり、月と星がありました。月と星はイスラム教誕生以前から中東で見られるベーシックなシンボルだとか。満ち欠けのある月は進歩、星は神の導きを象徴しているそうです。


このモスクの裏手に地元の人で賑わう食堂発見!こちらでお昼を食べることにしました。アラブ式パンケーキを注文。熱々でボリュームたっぷりで美味!店名ハリーム(Haleem)は唯一神アッラーを表す「寛容な者」という意味らしい。発音のよく似ているハラール(Halal)とは違います。こちらはイスラム法に則り、アッラーの名を唱えながら屠殺された食肉。日本でも最近見かけるようになりましたね。腹ごしらえをした後はいざリトルインディアへ!


この地域にインド人が住むようになったのは、19世紀前半、大英帝国がシンガポール開発を支えるため、すでに植民地であったインドから移民を投入したことから始まりました。リトルインディアという名前は意外と新くしく、1980年代にシンガポール観光振興委員会がつけたそうです。こちらは横断歩道を渡ってすぐ目の前にあるスリ・ヴィーラマカリアマン寺院。横断歩道の対面側には、所狭しとお供え物やお線香を売るお店が。日本だったらおまわりさんに叱られそうです。

この寺院の入り口の屋根(ゴプラム)のもりもりの人物像!ヒンドゥー教の神々や英雄達を表しているのだとか。日本の八百万の神も負けてしまいそうですね。この人物像たちは神聖な宇宙の縮図を表しており、同時に寺院の入り口を持っているのだそうです。この日は中に入れませんでした。残念!


19世紀半ばに建立されたシンガポール初期のヒンドゥー寺院の一つ、スリ・スリニヴァサ・ペルマル寺院。宇宙の秩序を保つビシュヌ神を祀っています。神殿の奥は立ち入り禁止です。この神の別名が、スリ・スリニヴァサ、そしてその別名がナラ・シンキ。私の敬愛するインド研究家の奈良毅先生は、インドでナラ・シンキというニックネームで呼ばれていたそう。この寺院を訪れることができたこと、それだけで、なんだか嬉しくなってしまいました!


19世紀半ばに建立され、1960年代に改築されたこの寺院。本殿は立ち入り禁止ですが、壁面や柱などの色鮮やかな装飾を楽しむことができます。8本の手を持つカーリー女神。手には神から授かった武器が握られ、邪悪なものを破壊する破壊の女神です。16本の手を持つドゥルガーはカーリー女神の源流ともいわれます。万人を救う癒しの菩薩、日本の先手観音とはだいぶ趣が違っていますが、人類を救おうとする点では共通していますね。

東南アジアのどの地域でも人気の神様、象の姿のガネーシャ神。ピンク色なのはタイが起源で、インドでは様々な色があるとか。四本の手を持ち、片方の牙が折れているのが特色。お父様シバ神から誤解を受けて首を切り落とされ、後から慌てて近くの象の頭をつけたという神話があります。大きな頭は知恵を、ふくよかなお腹は豊かさを表し、学問の神、商売繁盛の神としても有名。かっこいい英雄ではなく、このような姿のガネーシャが人気を誇るというのは、何だか安心感がありますね。


これはなんと!壁や天井の天使たち。なにゆえ?天使はキリスト教やイスラム教には存在するものの、ヒンドゥー教にはないはず!それはそこ、「麗しの国」のなせるわざ。さまざまな文化が交じり合い、ヒンドゥー教寺院にもイスラムやキリスト教の影響が忍び込んでいるんです。

翌日は娘のお気に入りのプラナカン地域をそぞろ歩き。プラナカン文化(ニョニャ文化)は15世紀後半、中国系移民の男性がマレー半島に移住し始め、現地の女性と結婚して子孫を残すようになったのが始まりだそう。プラナカンとは現地語で、「その土地で生まれた子」、ニョニャとは女性を意味します。リッチな商人の妻であった彼女たちは、中国、マレー、そして西欧の混じった華やかで豪華なビーズ小物や刺繍を制作しました。


プラナカンを代表するフォトジェニックな建物。パステルカラーや花のモチーフが、この街全体に華やかで繊細な雰囲気をかもし出しています。この建物には現在も人が住んでいるため中に入ることはできません。
建物の前で記念撮影をさせて頂きました。


そして最後はなんといってもシンガポール空港。レストランやお土産ショップが所狭しと並んでいます。右の写真はせっせと働くお掃除ロボット。発見の多い旅でした!


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