みなさんは、カンボジアのアンコール・ワットを訪れたことがありますか?行ったことがなくても、名前だけは聞いたことがあるかもしれません。私は今年の2月にアンコール遺跡群を訪れてきました。のんきに出かけて行ったのですが、実際に訪れてみて、その壮大さに足がすくみました。周囲400平方kmのエリアに600以上の遺跡が点在しているんです!
そこで今回は、知っていそうで実は知らない(かもしれない?)アンコール・ワットの基本情報をお伝えします。「なぜこんなに巨大?」「なぜ、宗教が混ざっている?」「どうやって発見された?」 素朴ですが、知りたいポイントですよね。「そうだったのか、アンコール・ワット! 」お楽しみください!
投稿・写真・HP編集:鍵山眞由美
旅行期間:2025年2月16日~20日
アンコール・ワットは、なぜこんなに巨大なのか?

メコン川下流のカンボジア地域はインドとの交易ルートに位置していたため、ヒンドゥー教が自然にこの地に伝来しました。クメール王朝絶頂期の王、スールヤヴァルマン2世。ヒンドゥー教を篤く信仰し、30年以上の歳月をかけて壮大な寺院を建立します。こうして遂に完成したのがアンコール・ワット。「アンコール」は「王都」、「ワット」は「寺院」という意味だそうです。

ヒンドゥー教において、王は神の化身。そのため、アンコール・ワットは単に神を祀るための寺院ではなく、王が神と交流する「現役の」神殿でもあり、また、死後に王が神と一体となるための王の「未来永劫に関わる」埋葬所でもあったのです。ほかの遺跡がみな東向きなのに対し、アンコール・ワットだけが西向きなのは、墳墓として西方浄土に向けて建てられた、という説もあるそうです。王は神の化身として絶対的な権威を誇っていたからこそ、このような壮大な神殿の建設が可能になったのです。

西参道入り口の朝日。 トゥクトゥクはここから入れない。

西参道から本殿へ至る。左右には「聖なる池」。橋のような参道を渡ると、この世から別世界へ…。
こうして気持ちが切り替わることも、設計者の意図だそうです。

池を渡り、西門をくぐると、遠くに本殿の塔が三つ見える。写真のフレームに組み込まれたように見えるのは、偶然ではなく、これも、当時の設計上の技術だそうです!

本殿に至るまで、長い参道をさらに歩く。容易に近づけないことで、厳かな気持ちが増してくるように設計されている。おりしも太陽が昇ってきた!

本殿に入るためにはさらに階段を上らなければならない。段を上ることにより、現世と別世界との境を意識し、気持ちが切り替わるよう、設計されている。

アンコール・ワットの素晴らしいところは、地面より高い神殿内に巨大な貯水池が造られていたこと。これらは王が神と交流するための身を清める沐浴場でだけではなく、高度な治水施設でもありました。神聖な場所でありながら、その一方で実用的な施設だったのです!画期的なこの技術により、この地の農業は支えられ、人々の生活は潤い、王朝はこの上なく繁栄したのです。


神殿頂上付近の沐浴の場。中央の私と比べると、いかに大きいかがわかる。西参道の左右の池も含め、神殿自体が巨大な灌漑施設を組み込んでいる!
なぜ、ヒンドゥ教寺院なのに仏像が?

スールヤヴァルマン2世の死後、王朝は衰退し、宿敵、ベトナムの王族が侵攻。一時期、都が占領されてしまいます。しかし、その50年後に宿敵を打ち破って即位したのがジャヤーヴァルマン7世。王は奪還したアンコール・ワットを新しい都とせず、近くにわざわざ新王都、アンコール・トムをゼロから建設します。なぜでしょうか?


アンコール・ワットは複雑なピラミッド型のため、防衛力が不十分であり、また、利便性の良い平面型の城壁都市としても機能しません。ジャヤーヴァルマン7世にとって、アンコール・ワットは「素晴らしい寺院」ではありましたが、王都としては防衛、政治の両面において不適格だったのです。そのため、王は奪還したアンコール・ワットはそのままに、全く新しい都、アンコール・トムをゼロから建設する道を選びました。 アンコールは「都」、トムは「偉大な」という意味です(写真はアンコール・ワット外観。建物がフレームとなり、本殿の塔が美しく収まる形に計算して建築されている。)

何といっても一番の理由は宗教の違いでした。王はクメール王として初めての仏教徒でした。この寛容な王はアンコール・ワットのヒンドゥー教的な要素を排除せず、仏像をその境内に加えさせたのです。その結果、アンコール・ワットは、王都の機能は失いますが、ヒンドゥー教と仏教が混在する寺院として、引き続き、その権威を保ち続けました。(ヒンドゥ教の踊り子たちのレリーフ。神に捧げる踊りは、もちろん王に捧げる踊りでもあります!この踊りの伝統は現代まで残り、観光客に披露される。)


神殿内の仏像の数々
アンコール・ワットは「発見」された?
ジャヤーヴァルマン7世の死後、上座部仏教がスリランカからクメール王朝に伝来し、やがて、アンコール・ワットは完全に上座部仏教の寺院になります。上座部仏教は「個人的な修行」に重きを置くため、ヒンドゥー教や大乗仏教ように「王の権威」を示すための巨大な石造寺院を維持する動機は失われていきました。(現在も訪れる巡礼の僧侶たち。オレンジの衣は上座仏教。)

また、アンコール・ワットの巨大な灌漑システムも、度重なる戦争により機能しなくなり、耕作地は荒廃。やがて、タイのアユタヤ王朝の侵攻により、ついに首都アンコール・トムが陥落すると、王族は南部に逃れます。こうして、アンコールは政治的な中心地としての役割を終えました。(東門出口付近から見る三塔。また趣が異なる)

15世紀に都アンコール・トムが放棄され、多くの遺跡が森に飲み込まれる中で、アンコール・ワットは僧侶と巡礼者たちによって連綿と維持されてきました。やがて1800年代、フランス人探検家が密林深くに埋もれていたこの巨大寺院を訪れ、「驚くべき、忘れられた遺跡」として世界に紹介しました。そのために、「アンコール・ワット発見!」という認識が世界中に広まったのです。(出口東門から振り返って見る三塔)

しかし、西洋では知られていなかったものの、実はアンコール・ワットは現地の人々が常に信仰し続ける「現役の寺院」であり、「生きた寺院」です。数百年間にわたる混乱期を乗り越えてきたのです。カンボジアの国旗にも、紙幣にも、アンコール・ワットの三塔のシルエットが描かれています。アンコール・ワットは、まさにカンボジアの魂の源なのですね!

アンコール・ワットは様々な経緯を経て、現代まで生き残ってきたのですね!
次回はジャヤーヴァルマン7世の築いた新都市、アンコール・トムの中心寺院、バイヨンと、その近郊のタ・プロームについて、ご報告します。
この記事を書くにあたり、地元のガイドさんの情報のほか、『地球の歩き方2025-26 アンコール・ワットとカンボジア』を参考にしました。また、疑問点はGoogleに付属しているGeminiで確認しました。


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