東日本大震災10年目をむかえて 篠崎春彦

東日本大震災発生から丸10年の節目を迎えて 
2月13日深夜11時過ぎ、福島県沖を震源として最大震度6強を記録した地震が発生した。福島を中心に土砂崩れや家屋倒壊が相次ぎ、150人以上がけがをし、関東・東北の広範囲で停電が起きた。誰もが10年前の東日本大震災の恐怖を思い出したことであろう。気象庁は「東日本大震災の地震の余震」と発表した。10年たってもこれだけの余震が起きるのかと思うが、地球誕生の時間軸から見れば10年とはホンの瞬きする一瞬かも知れない。

東日本の大震災の余震は300年続くという学者もいる。今後も大余震の可能性は否定できない。新型コロナウイルス感染症拡大が心配される中、もし今大地震が起こったら…想像するだけでも恐ろしい。幸い僕の住んでいる地域は震度4~震度5弱で40、50秒ぐらいガタガタと横揺れがしたものの、全く被害がなかった。

地震大国日本では全国各地で大きな地震が何度も発生している。関東圏を例にあげれば、1293年:永仁地震、1703年:元禄地震、1923年:大正地震(関東大震災)がある。関東大震災から98年経過した。首都直下型地震は、高い確率で発生するといわれている。しかし、正確な発生の時期は誰にもわからない。いま、大きな被害が懸念されるのが「首都直下地震」であろう。近い未来、被災地になるおそれがある、いわば「未災地」とも言える首都圏に、僕は暮らしているのである。

まもなく、東日本大震災は2021年3月に発生してから丸10年の節目を迎える。

2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震。マグニチュード(M)は、1952年のカムチャッカ地震と同じ9.0。これは、日本国内観測史上最大規模、アメリカ地質調査所(USGS)の情報によれば1900年以降、世界でも4番目の規模の地震であった。

この大震災では、岩手、宮城、福島県を中心とした太平洋沿岸部を巨大な津波が襲った。東日本各地での大きな揺れや大津波、火災等により、東北地方を中心に12都道県で2万2000人余の死者、行方不明者が発生した。これは明治以降の日本の地震被害としては関東大震災、明治三陸地震に次ぐ規模となった。沿岸部の街を津波が破壊し尽くす様子や、福島第一原子力発電所におけるメルトダウン発生は、地球規模で大きな衝撃を与えた。

古い資料を整理していたら、当時の事情が生々しく記述してあったので紹介する。

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「東日本大震災」1カ月経過して

好天に誘われ、ウオーキングをしようと部屋をでた瞬間「ゴゴゴゴゴォ」と地震の初期微動を感じました。いつもの揺れと違う、地の底から伝わってくるようないやな音がしたと思うと「ぐら~ぐら~ぐら~ガタガタガタガタ」激しく大地が揺れました。これまで体験したことのない強い地震に襲われました。

私は立っていることができず、2階の廊下の手すりにしがみつき窓の外を見回しました。周りの電線は大揺れにたわみ、電信柱は今にも倒れてくるのではないかと思うほど左右に傾いて揺れていました。木造2階のこの家はつぶれてしまうような危惧が頭を横切りました。急いで1階にいた妻に声をかけました。妻は直ぐに逃げられるように玄関のドアを開けて待避していました。「不用意に外に出るな」大声で怒鳴りましたが、聞こえ無かったようで反応はありません。後で聞いた話では壁に掛かっていた大きい鏡が揺れに揺れていたので、それを必死に押さえて踏ん張っていたとのことでした。

僕は2階の部屋で棚から物が落ちる音を聞いているうちに、もうどうにでもなれと、破れかぶれの気持になり、腹が据わってきました。自分でも不思議なくらい恐怖を感じることがなく冷静でした。

20代のころ岩登りに取り憑かれた時期がありました。ある日、谷川岳一の倉沢の岩壁を登はん中、落石に遭いました。落石と言っても大きな石ではありません。幾つもの小石が垂直の岩壁当たりながら加速し、弾丸のような唸りをあげて飛んできます。これに当たれば命を落とすかも知れません。そのときは腕の一本ぐらいなくしても命は欲しいと、生きることへの強い執念がありました。

ところが今回はそんな気持ちが沸きませんでした。これは歳を重ねて生への執着が薄くなったのではなく、恐怖の時間が短かっただけかも知れません。

ところで、僕は死期が近づいてきたときに「もっと生きたいよ!」とわめきうろたへ醜態をさらけだしてしてしまうような気もします。災害の備えと同じように、死に直面しての往生際も普段から心がけておかなくてはならないことかもしれません。ゲーテのように「もっと光を」などと、キザなことは言えないが、心穏やかに真っ当な死に方をしたいものです。

ともかく、本震が治まり少し落ち着いてつけたテレビの映像に「国内最大級の地震で最高震度7強」「沿岸部の町は津波により壊滅状態」「死者は少なくとも1,000人以上」のテロップが流れました。そして津波が上陸する様子、どこまでも内陸部に突き進んでいく鮮明な画像に背筋が寒くなりました。

被害状況が明らかになってくるにつれ、予想をはるかに超えた未曾有の大災害となり、この阿鼻叫喚の地獄絵は桜井よしこ氏を「考えられる限りの全面戦争でさえもこれほどの被害をもたらすことはないだろう。」と言わしめたほどでした。さらに、震災から1ヶ月近くたった4月7日夜、復興の兆しの見え始めた東北地方に、再び大きな余震が襲いました。この揺れで死亡者、けが人と本震で傷んでいた住宅やインフラにも大きな被害がでています。

地震、津波、原発、風評の4重苦に、我慢強く、忍耐強く耐え忍んでいる東北の人に、なぜもこんなにも過酷な試練を与えるのか。神や仏はあまりにも不公平ではないのか。慈悲の心を忘れてしまったのか。東北の方々が可哀想でなりません。

幸い、わが家族は被害も無く、夫婦、子供、孫ともども「帰宅困難者」にもならず平穏な暮らしを享受しています。

こんな時にこそ体をつかったボランティア活動をしなければならないところですが、半病人の老いぼれが出向いては、はた迷惑になるだけ。せめて、東北地方を旅して大いにお金を落とす。被災者のために空き家になっている千葉実家を解放して使ってもらう。できる限りの義援金を継続して送るなどを心算しています。

仏教に「忘己利他=もうこりた」との言葉があります。自分を忘れて他人のためにつくすことを言います。他者の幸せをはかり、そのために無償の奉仕を惜しまない。素晴らしい行為です。しかし、凡人にはこれを実践することは至難の業です。

自戒を込めて言うと、平和ボケと飽食で、自己中心的な傾向が強くなってしまった己を自覚し、戒め、それを克服する努力をしなければなりません。今こそ意識改革のチャンスです。私たちは震災からの復興・再生という大目標に向かって、苦難の道を進む覚悟を持たなくてはなりません。

2011年4月11日 記す (大震災・1ヶ月経過して)

<追記>今では80才を過ぎた老いぼれになってしまいました。だが、まだまだ修行が足りません。

     
 2011年4月東北新聞 壊滅的な被害を受けたいわき市久野浜

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