(2025年7月15日~16日) 文、写真、HP編集:鍵山眞由美

来春の台湾ロングステイ、高雄と新竹の募集が終了しました。高雄のステイでは、台南の烏山頭ダム(うさんとうダム)を見学予定と伺っています。今回の投稿は、このダムの建設の記録を、タペストリーという形で芸術作品にまで高めた伊東哲(いとうさとし)画伯の故郷、金沢を訪ねたときの記録です。
奇跡のレポートは、私の幼馴染が伊東画伯の親族であるということがわかったことから始まります。彼女にお願いしてその生家を見学させていだたくことになったのです。

伊東哲「自画像」伊東平隆氏所蔵

伊藤哲画「八田與一肖像」農田水利署嘉南管理処所蔵
1920年代。日本統治下の台南・嘉南平原は穀倉地ではあるものの、干ばつや洪水に悩まされていました。一方、当時コメ不足が続いていた日本は台湾での収穫を期待。そこで嘉南地方での収穫倍増を目指し、八田興一(はったよいち)技師が日本政府より任命され、本格的なダム建設が開始されます。(烏山頭ダムの位置:朝日新聞GLOBE+編集部作成)(烏山頭ダムの写真:Guanting Chen/Wikimedia Commons)


台湾では小学生でも知っている八田與一。今でも台湾の人々から尊敬を集め、毎年命日には現地で慰霊祭が行われているほど。この工事の様子をタペストリーという形で残したのが八田技師の親族にあたる伊東哲画伯です。そのいきさつに関しては児童書、『1930・台湾烏山頭 ~水がめぐる平野の物語』(2020、北國新聞社)で詳しく紹介されています。(写真は台湾版:HITOTO TAE 公式ホームページより)

2022年には現地のダム近郊に伊東哲画伯を記念するパーク「隆田ChaCha」もオープン。こちらに関しては「おとなの社会科見学(1)台湾に足跡を残した日本人」のレポートをご参照ください。記念館では伊東画伯のご親族、伊東平隆様ご夫妻がビデオで紹介されていました。私はここでタペストリーのレプリカを見学し、一目ぼれをしてしまったのです!!(写真:この施設のボランティアガイドさんとのツーショット!)


伊東画伯の生家は金沢市郊外、森本にある伝統的古民家。国の登録有形文化財、金沢市指定の保存建造物にもなっています。もともと伊東家は千年以上も続く由緒ある家柄で、京都からこの地を治めるべく派遣されたそうです。台湾のビデオで拝見した平隆様ご夫妻にいよいよ対面です!(地図は森本商工会HPより)

わたしたち花の同級生トリオと、LSC関西支部で台湾ロングステイを例年取りまとめてくださっている神原様ご夫妻、ご友人で金沢在住のLSC会員のご夫妻も加わって、総勢7名で生家を訪れました。ギャラリーが手狭なため、これが最大限の受け入れ人数とのことです。


伝統的な重厚さの中にもモダンで瀟洒な香りのする堂々たる古民家。古木が組み合わさった広々とした居間空間と高い吹き抜け。大きな窓ガラスからは滴るような緑。ああ…、ため息!ギャラリーはこのお宅の一室になっています。この邸宅を受け継いでいらっしゃるのが伊東平隆様ご夫妻。奥様手作りのケーキで温かいおもてなしを受けつつ、平隆様より画伯の生涯や時代背景などを伺いました。

台湾のメモリアルパークで飾られていたタペストリーの原型が披露されました。こちらが本物です!ダム工事という無機質で技術的な記録が、まるで屏風絵のような繊細さと、印象派風の柔らかなタッチで芸術品へと昇華されています。記録が芸術になった瞬間…!絹織物にローケツ染めを施した手法は、金沢の友禅織りの影響を受けているのかもしれないとのこと。

そしていよいよ二階のギャラリーへ!問題作となった「沈思の歌星」のレプリカも拝見しました。当時、大スキャンダルを巻き起こした柳原白蓮をモデルにして描いたもので、これが売名行為との誤解を招き、画伯は自ら画壇を去ります。そして八田技師の招きで台湾に渡ることになったのです。本物は残念ながら戦争で焼失してしまったとのことです。


当時の台湾の人々を描いた作品も多く、中には空襲で焼失したものも。作品を疎開させて焼失から守ったのが、今回案内をしてくれた友人の父上だと伺いました。作品の何点かは石川県立美術館が所蔵しています。


私が胸を打たれたのは、「絵画で身を立てたい」という若き伊東哲の、当時としては大胆な願いを、伊東家の皆さんが温かく受け止めたこと。さらに画壇で誤解があっても彼を支え続け、空襲の折にはその作品を疎開させ、親族の皆さんがうち揃って画伯を守り続けた、というその熱い心意気です。


ギャラリー見学後は、文化財ともなっているお宅のお部屋をくまなく拝見。このお宅は地域のコミュニティの中心ともなっていたとのこと。お蔵に積まれていた先祖代々の高価な調度類や冠婚葬祭用の食器類などは、奥様が整理なさり、リストを作って保管していらっしゃるとのことでした。このお宅を粛々と守り続けていらっしゃる御夫妻に頭が下がりました。

ギャラリー訪問の後は、すぐ近所にある八田技師の生家を訪れました。当時東洋一の灌漑土木工事を成し遂げ、日本人にも台湾人にも平等に接したという八田技師は、地元の小学校でも教育のテーマとなっており、その胸像が校庭にあるそうです。

入り口に記念碑はあるものの、残念ながら内部は立ち入り禁止でした。塀が傾いていたのは、先日の能登の震災のせいではなく、もともとそのような設計だったとのことです。(平隆氏談)

見学後は市内に戻り、「金沢の台所」、近江町市場の広東料理店「桃仙」へ!金沢地区の台湾人会をまとめていらっしゃる高桃仙さんのお店です。伊東家ともご縁があるとのこと。近江市場ならではの海の幸をふんだんに使った中華ランチを楽しみました。(写真は仙桃のHPより)

ランチでは、お隣のグループも何やら盛り上がって会食中。高さんのご紹介で分かったことは、なんと隣席にいらしたのは、台湾の台中に全長16キロにも及ぶ農業用水路、白冷圳を建設した磯田謙雄氏のご親族と関係者の一行でした!さっそく、情報交換開始。パンフレットもいただきました。(地図は「2017年11月、烏山頭ダム、白冷圳見学報告会」より)


磯田謙雄氏は八田技師の7歳年下。八田技師と同じ金沢出身で、金沢城の用水路をヒントに白冷圳を建設したそうです。台湾では八田技師の自宅の離れに住まわせてもらったこともあったとか…。ここで、関係者のみなさまと遭遇するとは、なんという奇跡でしょうか!


今回の駆け足の金沢旅行。日本と台湾の架け橋のように感じられる充実した一泊でした!ご縁とは不思議なものだとつくづく感じます。来春の台湾のロングステイがますます楽しみになってきました!(2025年9月5日投稿)




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