「回想」カザフ族・鷹匠の祭典  篠崎春彦

「回想」カザフ族・鷹匠の祭典

今年こそは明るい年という多くの人の願いもむなしいものになった。年明け早々感染拡大に歯止めがかからず1月7日、政府は再び緊急事態宣言を発令した。

高齢者や基礎疾患のある人は重症化しやすいとの報道に、老妻と巣ごもり生活して久しい。TVでは朝から晩までコロナ、コロナのオンパレード。恐怖を煽れば視聴率があがるとばかり・・・妻との会話が少なくなった。ため息ばかり。コンビニの華やいだお姉さんの声に感激した。俺だってたまには若い子とおしゃべりがしたい。だが待てよ、三度の飯を食べさせて貰えるだけで贅沢というもの、それ以上のことを望んだらバチがあたる。感染拡大が収まるまで、有効で、安全なワクチンが使えるまで、もう少しの辛抱だ。

個人的なことで、あまり自慢できる話ではないが、僕は救急車で2度運ばれた。3度目に運ばれるときは、この世からおいとまするときであろう。1回目は13年前テニスプレー中に脳梗塞で倒れたときである。2回目は昨年10月と最近のできご。自宅で胸が苦しくなりかかりつけ医K先生の診察を受けた。心電図を見ていたK先生は「これは大変だ」とばかり直ぐに救急車を手配してくれた。

日赤大宮で治療を受けていることを知っているK先生は、直接日赤の僕の主治医I先生と連絡をとり、救急車で日赤に向かった。I先生は一定の診断の結果「一過性の現象で問題ありません。このまま自宅で治療してください」とのことであった。入院を覚悟していた僕は拍子抜けしたものの、僕の心臓を熟知している先生の言葉に安堵した。

日赤には半年ごとに「心臓弁膜症」の精密検査を受けている。前回は中等症と重症の間で、直ちに弁置換をする必要がなかった。中等症と重症の間をさまよっているのは心臓だけでない。脳だって怪しいものだ。1月末にまた定期検診がある。

僕は男性の平均寿命を超えた。十分長生きをしたと思っている。だから必ずしも長生きを望んでいない。といいながらも、まめに病院通いをしている。この矛盾は僕の人生観のようなもので所詮たいしたものでない。

『注』 コロナ雑感(その9)では長生きをして孫の成長を見とどけたとか、コロナが収束後の世を見たいとか、生に執着したことをかいていたが、今またチョット変節した。

コロナで死んだら悲劇だ。親族に迷惑がかかる。家族と対面できないまま、感染対策のため24時間以内に直接、火葬場に遺体を送くられてしまうそうだ。コロナでは死にたくはない。

世界一の長寿国でありながら日本ではいまだ、安楽死も尊厳死も認められていない。自分の死をどう迎えるのか、重い課題であるが高齢者が適当な時に死ぬ権利を行使できるよう、現実を直視した法制化が急がれるところであるが・・・まだ難しそうだ。

閑話休題

コロナ雑感「その11」で五木寛之氏の提唱している「回想のすすめ」を紹介した。これはコロナ禍の不安を取りのぞくために役に立つ。古い昔を思い出すことで、一種の回想療法とも言える方法である。「懐かしいなぁ…」と昔の楽しかった思い出に浸ると、心がほっと落ちつくものである。過去を回想することによって、精神安定や認知機能の改善が期待できるといわれている。

今回は「カザフ族・鷹匠の祭典」を取り上げた。動画は稚拙である。紀行文は長い。これは、僕の暇つぶし産物で、独りよがりのことが多い。気が向いたらお付き合いください。

<余録>

初春の訪れを告げるロウバイの黄色い花が、我が家の前の公園で咲き始めた。まだ寒い冬のさなかに咲き始め、例年は2月上旬までが見頃である。

花びらは透き通るような黄色で、正に蝋細工のよう。蝋のように油分が多いため寒さに強いのだろう。公園の花は『素心蝋梅』という種類のようだ。『素心』とは 『いつわりのない心。かざらない心。』花びらが透き通る黄色から名付けられたのだろう。人間、こうありたいものだ。

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