南極半島クルーズの旅
神奈川県 湯川久子
これは21年も前の旅行記です。その後に変わったのは基地の姿や、そこに勤務していた人々の人生、それに20年は生きていると言われるペンギンも入れ替わったことでしょう。
しかし、自然そのものの姿は変わることはないと思います。2000年1月13日~30日の「白い大陸、南極半島クルーズの旅」の記録です。
1月13日
午前12時 成田空港よりニューヨーク・ケネディー空港へ
飛行時間12時間15分 時差-14時間
午後6時 アルゼンチン航空にてブエノスアイレスへ
飛行時間10時間55分 時差+2時間
1月14日
午前6時 ブエノスアイレス着
強い日差しの中で市内観光後、ホテルにチェックイン
1月15日
午前2時 モーニングコール
午前6時 朝焼けの空港 アディオス!カンパニア!
チャーター便で南米最南端 風のフエゴ島 首都ウシュアイアへ
機内からの景色は、雪も残る山並みと、海岸線に小さな港町。
午前9時 ウシュアイア空港に到着
風が強く、地の果ての小さな小さな街で寂しい感じ。さすが南の端っこ!しかしよく見るとメルヘンチックな街並み。世界最南端にある「世界の果て博物館」へ。
午後 バスに乗り郊外へ。かのアメリカンハイウェイ終点の近くを更に南下し、山の中へ。山の一軒家のレストラン”Las Cotorras”では赤々と燃えた火で「焼きたてのラムのアサド」の昼食。ダイナミック‼
バルディ峠では晴れてフエゴの山々が見え、エスコンテット湖には大きなルピナスの花が咲き乱れていた。
少し日が陰ると、風が走る走る。いよいよ極地への感。
午後4時 ブレーメン号に乗船
ウェルカムパーティーでは船長と乗客の一人ひとりが握手を交わし、船長が乗組員を一人ずつ紹介して、皆で乾杯。
1月16日 魔のドレーク海峡
寝ていてなんだか変だと思ったら、枕の下が持ち上がり、持ち下がる?!気持ちが悪い。サイドテーブルに置いた本が動き出す。酔い止めの薬を飲み込んで、まぁ身を任せるしか仕方がないか…寝ていたとも起きていたとも不確実な1日。
1月17日
午前7時半 朝食と言われても起き上がれない。気持ちが悪くても衣類の貸し出しや注意事項のレクチャー。「船酔いは平衡感覚の訓練だから寝ていてはいけない!」と言われて無理をする。
午後 そろそろ氷山が見えてくる。全天曇り、波高く。
午後5時 エレファン島(南緯61°10’S西経55°14’W)のルックアウト岬に到着するも高波で上陸できず。
北に回りワイルド岬へ行くも、こちらも波高く断念。この日は南極域に入ったが上陸叶わず、眺めて終わる。
1月18日
午前6時 南極海峡を通過
ポートレット島(南緯63°35’S西経55°47’W)へゾデヤック(ゴムボート)に乗り換えて上陸。南極初上陸‼
愛すべきペンギンちゃんがいるは、いるは…
波打ち際には山の様な氷の塊がごろごろ…
午後 いよいよ南極半島北端ホープワン・エスペランサ基地(アルゼンチン)へ徒歩にて到着。雪もなく、太陽が降り注ぎ、人間の街があり、南極ではなく普通の街に来たような感じがしてしまう。ここには南極で初の出産児がおり、もう大人になってしまっているが在住とのこと。南極博物館にも入館。ガイドは日系の古谷さんと言う方で、館内を案内してくれたり、お兄さんが日本に住んでいる等の話をしてくれたりした。
1月19日
早朝 アイチョウ諸島 波高く、上陸は断念。
予定を変更し、近くのグリーンウィッジ島のプラット基地(チリ)の外れにあるシャックルトン像(1890年代の南極探検家)へ徒歩にて訪れた。基地の中は、博物館やサロンがあり楽しそうな所。私のスケッチは、基地の職員に大喜びされて、次から次へ職員の方の似顔絵を描き上げて、みんなで集合写真。
午後 ハーフムーン島 またして高波で上陸断念。
グリーンウィッジ島へ戻る。南のヤンキー湾へ、ブルーの氷山が数多浮かぶ。
月20日
早朝 クーパービル島(南緯64°41’S西経62°32’W)のペッツバル氷河のクルージング、後に上陸。
青い青い氷河、氷山が素晴らしい。ゼンツーペンギンのコロニーもあり、よく見たくて近付き過ぎて、ガイドにられる…
午後 さらに南下し、パラダイス湾アルミランテ・ブラウン基地(アルゼンチン)(南緯64°51’S西経62°54’W)へ。
昔ここは最も美しい基地と評判だったが、1984年に越冬を嫌がった医師が放火。今は少し再建されているそうだが、扉は閉ざされ誰もいる様子はなかった。
人気のない基地の傍らで、青いゴミ袋を持って、斜面を滑ってソリ遊びを楽しんだ。
1月21日 本旅行のハイライト
早朝 ルメール海峡通過(2万トン級の船は通過不可)
今回の旅行の最も南端のピータマン島(南緯65°10’S西経64°10’W)へ上陸。
ゼンツーペンギン最南端のコロニーが岩のてっぺんにあり、またして近くまで観察しに。
午後 びルメール海峡へ、ウィンケ島にある自然の良港ポートロックロイへ上陸。
天候悪く、吹雪でペンギンも吹っ飛ぶものすごさ。南極史跡信託財団の駐在所(英国)へ逃げ込む始末。建物の外は、床下のみと言わず、ドアの前の僅かな隙間にも、一面ゼンツーペンギンの営巣地。ペンギン村に人がお邪魔していて、ゼンツー村の庭園と言った感じ。ペンギンは風が吹こうが雪が舞おうがしっかり子供を抱いて、皆風に向かって同じ方向を向いているのが面白い。
1月22日
夜中 ゲーラーシェ海峡を北上
午前5時 デセプション島(南緯62°59’S西経60°34’W)へ上陸。
三日月の形をした火山性のカルデラ。
ホエーラズ湾内は穏やかで、広い、広い砂浜は砂と雪交じり。まず「ネプチューン(ローマ神話の水の神)の喉」と呼ばれる狭い門を目指す。ザクザクと歩きにくい坂道を這うようにして登れば、激しい風に立っていられぬ。空は晴れて清々しいが、風の強さ、太陽の強さが厳しい。やっとの思いでネプチューンの喉に上り、振り返れば湾の砂浜が眼下に広がる。強風と泥流によって造られた白黒の縞模様が美しい。広い平地には、赤錆のタンクや、噴火時に埋まった英国やチリの廃屋や廃船、褐色のコメススキの群落、捕鯨船時代の樽の残骸などなど。
午前10時 ペンジュラム入江と言う温泉が湧く入江に行くも、この時は風が強く入ることは叶わず。せっかく水着を着て行ったのに残念…
午後3時 ネプチューンの喉を再び通り船に戻る。
リビングストーン・ハンナ岬へ向かうが波高く、スタッフのみの上陸で残念。
14日に上陸できなかったハーフムーン島(南緯62°36’S西経59°55’W)に再挑戦し、上陸。
ヒゲペンギンのスキー場。よちよち歩きで斜面を登り、お腹で滑り降りて遊ぶペンギン達の姿を見ていると、こちらも楽しくなる。
1月23日
朝 キングジョージ島(南緯62°10‘S西経58°00’W)ジュバーニ基地(アルゼンチン)に到着するも、ウクライナの軍艦が来ると言うことで上陸できず。
アートフスキー基地(ポーランド)にも行ったが上陸できず。南極半島北上。
午後 キングジョージ島の北東沖に位置し、地図にも載っていないペンギン島(通称)(南緯62°06’S西経57°56’W)へ上陸。休火山の島で南極では珍しく雪は少なく、植物(南極コメススキ、南極黒苔)も生えている。さすがペンギン島と言うだけあって、そこら中にヒゲペンギンがおり、ゴマフアザラシも見ることができた。ゴマフアザラシは地面に打ち上げられた流氷と似た色。→ ↳
島の頂上へはコメススキの原を過ぎ、火山礫の道がなだらかに続く。頂上まで登ると、すり鉢状の火口と横にも大砲が並んだごとく噴火口がいくつも見られた。風が非常に強く飛ばされそうだが、360度白から銀、灰、ブルーグレーと変化に富んだ海原、氷山、島々。ただ、ただ、眺めていても見飽きない。やはり高さが違うと見える景色も違う。自然はすごいなぁ…
船に戻っても風は強く、トウゾクカモメはあまりの強風にデッキの手すりから落ちそうになる始末。島から離れる時には最後のお見送りに、漂う氷山に乗ってペンギンがやって来てくれた。
1月24日 さらに北上し、ドレーク海峡に戻る
行きは船酔いに悩まされたが、二度目は荒波にも身体が慣れた。食堂も行きはガランと空いていたが、今度は乗客で埋まり、誰も船酔いしている人はいない様子。ただ、歩くときに船の揺れと足を下すタイミングがずれると、階段を踏み外したように上手く歩けないときもある。
1月25日 南米最南端ホーン岬は見えるも、波が高く上陸断念。
夜 クルーズ最終夜でキャプテンディナー
着物で参加。船長のあいさつや楽団の演奏、ダンス、コーラス等で最終夜を皆で楽しんだ。
1月26日 晴れて久しぶりの青空。南極は常に白、ブルーグレー、灰色の異世界だった。約1000㎞離れただけで人の住める場所へ。行きは寂しい街だと感じていたウシュアイアの街が、賑やかで素晴らしい街に思える。
午前9時 ウシュアイアにてブレーメン号下船
ツアーの皆と船の前で記念撮影。旅が終わりに近づき、何とも名残惜しい。
午前10時半 チャーター便でブエノスアイレスへ
降り立つと、暑い、暑い。ウシュアイアまでの寒い気候との違いに体がビックリ。ブエノスアイレスの街を歩くと、今までのモノクロの世界からカラフルな世界へ。
夜はタンゴのショーを楽しみ、南極の真っ暗な夜から煌びやかな夜景の世界へ。
1月27日
午前 アルゼンチンの草原へ 乗馬を楽しむ。
夜 アルゼンチン航空にてニューヨーク・ケネディー空港へ
飛行時間10時間50分(飛行機の出発時間が約3時間遅れる)
1月28日
午後1時 ニューヨーク・ケネディー空港到着
ニューヨークの街は雪景色。自由の女神も雪の洋上に。
1月29日
午前11時 ニューヨーク・ケネディー空港より成田空港へ 飛行時間14時間
1月30日
午後 成田空港到着
寒い、暗い、極南の地が現在は人々が暮らし、楽しめるところになっていた。
21年も前のことで、記憶も思いもだいぶ薄れてしまい、写真と旅の記録を頼りに今回書かせていただきました。
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