第13代市川団十郎襲名披露

                文・動画 編集 篠崎春彦

歌舞伎見物 十三代目市川團十郎白猿襲名披露

11月の末、歌舞伎座に行きました。これは妻の師事している琴の家元が、三味線奏者として出演したことで妻に同伴しました。私は歌舞伎に趣味があるわけではありません。むしろ古典芸能だし、なんだか難しくて敷居が高そうで、日常的にはほとんど関心がありません。それでも正月は妻と一緒に歌舞伎見物をします。十数年前から続いている年中行事です。直近では片岡愛之助さんと再婚した藤原紀香さんが、会場入り口でお客に向かって甲斐甲斐しく愛想を振り舞っていたのが、印象に残っています。

さて、コロナ禍による二年半の延期を経て、ようやく市川海老蔵改め13代目市川團十郎白猿の襲名披露と長男堀越勸玄君が市川新之助の名跡を八代目として相続した初舞台です。この襲名披露は大変な盛況で1800余の座席が連日満席と聞きます。公演は11月と12月の二ヶ月間行われます。

 

團十郎親子の口上

昼に部の最初の演目は勸玄君(新之助)の「外郎売(ういろううり)」でした。花道から出て、本舞台へと。せりふ、立ち回り、みえを無事にし終え、観客からは大きな拍手が起こりました。早口の言い立てが何とも滑らかで、無垢な真に迫る演技に感動して涙ぐむお客もいました。もう、いっぱしの役者のような風格です。大勢の人の前でつかえもしないで堂々として言えるのは本当にすごいことです。2017年に乳がんで亡くなった勸玄君母親、小林麻央さん(享年34)の影響なのか、陽気なエネルギーに満ちあふれていました。新之助は天性の愛されキャラのようで、果敢な9歳の少年のほとばしる情熱、それこそが團十郎家の伝統なのでしょう。

次の演目は「勧進帳」です。勧進帳」は歌舞伎十八番のひとつで、特に人気の高い演目のひとつです。團十郎の弁慶、片岡仁左衛門の富樫、坂東玉三郎の源義経など歌舞伎を代表する、大勢の役者がずらりと並ぶ舞台は圧巻でした。音羽屋(おとわや)・高麗屋(こうらいや)・澤瀉屋(おもだかや)など、お家ごとに異なる個性も魅力的です。大向こうから、「十三代目」「成田屋」など襲名を祝うかけ声が飛んでいました。それでも一般席からの掛け声は自粛されているので、やや寂しい思いがしました。

勧進帳は主君である義経に対する弁慶の忠義心の強さと、その弁慶を信頼してすべてを委ねる義経の覚悟、正体を知りつつも弁慶の忠義に打たれて関所の通過を許す富樫の情の厚さが見所です。義経のような弱い立場の人を贔屓(ひいき)して助けようという“日本人の思いやりの心”がこめられているのです。それが勧進帳の魅力なのでしょう。

ともかく團十郎として迎えた300回目となる『勧進帳』の弁慶では、余裕を感じさせながらも緊張感あふれる舞台を締めくくりました。最後の飛び六方では満席の会場から割れんばかりの拍手が起こり、記念となる舞台は大いに盛りあがりました。ただ弁慶が義経を叩きのめす場面がなかったようで、これは、暴力を排除した最近の風潮を配慮した新しい試みなのでしょうか。

銀座シックスビル

公演を終えたのは2時ごろ。天気は晴れて風もなく温かい。このまま帰るのは詮無いので「銀ぶら」をすることになった「銀ぶら」とは銀座をぶらぶらと散歩することです。いつの間にか「銀ぶら」という言葉は「死語」になっていて、今では耳に入ることはありません。

私は本社が銀座にあったので、会議や打ち合わせで度々訪れました。帰りには居酒屋で良く飲みました。もう50年以上前のことですが、銀座界隈は多少なりとも馴染みのある場所でした。

先ず、街を歩いてて気づくことは、ガードレールが少なく歩道が広いこと。銀座の中央通りの歩道は買い物客に優しい街なんですね。銀座のランドマークとして有名な和光本館の時計塔、銀座リコービル、ソニービルは、外観は昔のままのようであった。もちろん内部はリニューアルされているだろうが、そして超高層ビルが少ないのでないので街全体が落ち着いて見えました。

勧進帳

これは、地元のまちづくり団体が努力して、容積率や建物の高さ制限、壁面後退等や駐車場に関する「銀座ルール」を商店街のみんなで守っているためでしょう。しかし、詳しく見るといろいろ変遷があります。大きな変化の一つに銀座松坂屋の跡地に建設された、GINZA シックスビルです。銀座の街並が持つ歴史と美しさを惹き立てる建築で、屋上庭園や地下には、能楽最大流派である観世流の拠点「観世能楽堂」があります。このビルは世界に開かれた銀座の“新しい顔”となるでしょう。

少し時間があったので、コーヒーを飲もうと資生堂パーラーに入りました。イケメンで色黒の外国人の受付が「1時間以上待つことになります」とのこと。平日の午後で満席とはどうなっているのかと思いつつ、馴染みの店を探してみたが、閉店したのか道を間違えたのか見当たりませんでした。それから新橋駅まで行って、帰宅しました。

コロナ禍で外出をなるべく控えていたので、久しぶりに晴れ晴れとしたひと時を過ごすことが出来ました。

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                             2022-12-8  篠崎春彦

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