文・写真:動画編集:篠﨑春彦
「回想(続編)優雅に旅するモロッコ周遊」を投稿する。最近では読むこと、書くことが億劫になってきた。とりわけ書くこととなるなかなか筆が進まない。つたない記憶と写真を頼りに筆を進めたものの、その正確性には自信がない。
このところ加齢によるボケなのだろう、記憶力が低下して同じことを何度も聞いたり、書くようになった気がする。いわゆる「老人の繰り言」である。そういう時にはハハハと笑って受け流して欲しい。
さて、北アフリカのアラビアの都モロッコは、僕にとって幻想的な異郷と言ったロマンティックなイメージがある。映画・カサブランカ、外人部隊、カスバ街道などと、エキゾチックな雰囲気のするところとして憧れていた。そこで旅行情報を検索したらT社の「優雅に旅するモロッコ周遊9日間」がヒットした。面白そうなツアーであったのですぐに予約した。参加人員は6名と少なかった。カサブランカ→青の街シャウエン→フェズ→ウオルビリス→エルフード→メズーカ→サハラ砂漠→ワルザザード→アイト・ベン・ハッドゥ→マラケシュ→アルジャディーダ→カサブランカと周遊し、短期間に数多くの観光地を集中して回った。
日程:2017年4月18日~4月26日(9日間)
カサブランカ 北アフリカ、モロッコの最大の都市で経済の中心地として栄えている。イスラムとヨーロッパが共存している近代的な都市である。また、大西洋に面した主要貿易港でもある。カサブランカとは、ポルトガル語で「白い家」の意味である。


青の街シャウエン 北アフリカ・モロッコ北部のリフ山脈の奥深くにある。決してアクセスがいい場所ではないが、山間の美しいブルーの町は「おとぎの国」と絶賛されている。近年注目され世界中から旅行者が訪れているという。

街全体が青い理由は、青を神聖な色とするユダヤ人が移り住んだ際に染めたという説や、単純に虫除けという説、強い日ざしで家の中がまぶしくならないようにするためだとか諸説入で様々。以前は、イスラムの聖域として異教徒の立ち入りを禁止していたそうだ。イスラム建築の特徴として、建物の外部に庭を作らないと言った一種独特の生活感のなさや秘境的なオーラが感じられた






マラケッシュ ベルベル人が築いた王朝の都。ジャマ・エル・フナ広場ではヘビ使い、アクロバット、占い師などが集まる非常に活気ある広場。また、ベン・ユーセフ・モスクにかけて広がるグランド・バザールは圧巻であった。(イスラム圏ではスークと言う言葉を使う)僕はこれまでに見たことのないスケールであった。 マラケシュの旧市街の中心のこの広場は、かつて処刑場として使われていたそうだ。広場には、夕方頃から人々の出入りが多くなり、屋台や大道芸人も増える。。




サワラ砂漠 風と砂と星と。静寂の砂の国。うねる砂丘が延々と広がる砂丘群から、美しい夕陽を見せてくれた、エルフードから4WDに乗り換え、砂漠のオアシス・メルズーカ砂丘に向かった。
砂漠と言えばやっぱりらくだ!らくだに乗り、キャラバンを組んで、果てしないメルズーガの大砂丘をゆったり闊歩する時は、言葉にできないような感動がった。「体験」することで、そこが映画のセットではなく、本当に日本から遠い、異国の地なのだと身をもって実感した瞬間であった。
キャメルライドに関しての一番の注意点は、落とされないようにすることだ。らくだは予想以上に背が高く、立ち上がる時に大きく体が揺れる。






モロッコのトドラ渓谷 美しい自然景観で有名。この渓谷は、高い岩山、緑豊かなオアシス、そして流れる川が特徴だ。なんと40kmにも渡って続く絶景は、アトラス山脈を流れるトドラ川が作り出したもの。サハラ砂漠にほど近いため、乾燥した大地と灼熱の太陽の下、渓谷に向かうと、途中オアシスもあり、水の神秘すら感じる。ほぼ垂直に刻まれた断崖は、一番高いところでは160mにもおよぶ。まさに、地球の持つ不思議さに圧倒された。




その他














終わりに、長時間のフライトで狭い座席に長時間拘束されることは辛いものがある。まして歳をとってからは耐えがたい苦行である。今回の旅は成田からパリ12時間半、パリからカサブランカ4時間、トランジットを加えると18時間の行程になる。普通ならこんな遠路は敬遠し、旅を断念するところであるのに、なぜそれを可能にしたのか。それは、新型のビジネスクラスシートを利用したからである。JAL、ANAなどに投入されているビジネスクラスシートは、パーテーションで個室感を高めたり、フルフラットのベットまでできるのである。ここで、美味い料理をたべ、上等な酒を飲んで、眠くなったら寝るといった贅沢な時間を過ごした。
2024年3月5日 独法師
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