夏のニセコ ロングステイ その2    中野清剛

せいごう
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皆さん こんにちは!

ニセコ ロングステイの2回目のお便りです。
今日はニセコの山、ニセコアンヌプリのお話です。

ニセコアンヌプリ遠景    左側の一部が白くなっている山はイワオヌプリ

「ニセコ」という地名が今では有名になりましたが、実は「ニセコ」という言葉は元はなかった地名です。「ニセコ」が日本語ではなく、アイヌ語源であろうことは想像されると思います。でもアイヌ語にも「ニセコ」という言葉ないのです。

ニセコアンヌプリ」はアイヌ語では「ニセコアン・ベツ(川)のヌプリ(山)」という意味で、「ニセコ」という単語はありません。日本人がニセコアンでは語調が良くないので、これを省略してできた単語です。

ニセコアンヌプリ付近の地図               (国土地理院web地図から引用)

ニセコアンヌプリは標高1,308mで、西側のイワオヌプリ(戦時中は硫黄を採掘しており、今も硫黄で焼けて山肌が真っ白です)、ニトヌプリ、チセヌプリそれから北側のワイスホルンなどのニセコ連峰の主峰です。

ニセコ連峰の山々  手前の白く見えるのがイワオヌプリ
冬のニセコアンヌプリ
せいごう
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ニセコアンヌプリの標高1,000mより上には背の高い樹木はなく、強風に耐えれるように這いつくばったダケカンバやササで覆われています。
そのためご覧のように冬になると上の方は真っ白で、どこでも滑れるように見えます。

ニセコアンヌプリの周りには4つのスキー場があります。北の方から花園リゾート、ヒラフスキー場、ニセコビレッジスキー場、アンヌプリスキー場で、それぞれ頂上の方向へ向かってゴンドラやリフトが連なっています。

バックカントリーを求めるスキーヤーは最終リフトで標高1,150mまで行き、そこからスキーを担いでさらに30分ほど歩いて標高1308mの頂上に着きます。

頂上から東側の羊蹄山を見る

この写真の日は風もあまりない絶好の天気でしたが、頂上は吹きっさらしで、普段は強風の時が多く、天気の良い日でも天候はすぐに変わるので、滑降するために頂上で服や装備を取り換えるのが大変です。

せいごう
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しばらくバックカントリースキーをご一緒にお楽しみください。
下のURLをクリックしてください。
終わったら戻ってきてくださいね!

https://youtu.be/kLND_KMT8Wo
ニセコアンヌプリの頂上からアンヌプリスキー場までスキー場外を滑ります

 

せいごう
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夏に頂上に登ると展望が360°開け、素晴らしい眺めです。

頂上から眺める羊蹄山
せいごう
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東側にはきれいな姿の羊蹄山、倶知安(クッチャン)の街はこの左手前の方です。

岩内方面

北側には日本海が見えます。岩内(イワナイ)の街はちょうど山の陰に隠れて一部しか見えません。

せいごう
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ところで、このニセコアンヌプリの頂上には奇妙なものが立っています。

石碑には「ニセコ観測所跡」とあります。石碑の下にあるのはコンクリートの大きな塊で、上には何本もの基礎ボルトが出ています。ニセコアンヌプリの頂上にはこれ以外にも二つのコンクリート塊があります。こんな山の頂上にコンクリートの大きな塊があるなんてありえないのですが、登ってきた人たちは別に関心を示さずに、コンクリートの上に座って、持ってきたおにぎりを食べて下山していきます。

せいごう
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でも実は、このコンクリート塊には或る歴史が秘められていました。

せいごう
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この写真は1945(昭和20)年4月に頂上で撮影されたニセコ観測所で勤務する着氷実験関係者たちです。
この後ろに見えるのがその着氷実験施設です。

太平洋戦争中、爆撃機や戦闘機の飛行高度が高くなるにつれ、戦闘機が急上昇した時に機体に氷が付着して墜落する事故が起きたため、その着氷現象と対策を立てるため、軍が雪の結晶で有名な北大の中谷宇吉郎教授に依頼して、冬季の極低温と強風で知られるニセコアンヌプリの頂上に、ゼロ戦による着氷実験の観測所を設置したものです。

写真には北大の低温科学研究所の研究者や学生、航空機の設計技術者、陸軍・海軍の軍人など大勢の人が映っていますが、よく見ると左端には食事や身の回りの世話をしていたニセコ町の吉村トクエさんも映っています。

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でもこの施設はあの狭い山頂に対して大変大きな施設です。他の二つのコンクリート塊の場所から見て、おそらく山頂全体を占めていたのだと思います

観測所に設置されていたゼロ戦  人たちの後ろにあるのがゼロ戦で、主翼が見える
せいごう
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手すりなど凍り付いて皆さん寒そうですね
今も冬は気温も―25℃以上も下がり、強風が吹きまくりますが、昔はもっと寒かったと思います。
実験に参加した人たちは、冬の間中ずっとこの観測所で寝泊まりをしたそうです。

しかし終戦になって、米軍に知られることがないように、軍の手によって施設は破壊され、ゼロ戦も壊して捨てられましたが、その後1990年にゼロ戦の主翼の一部が山の中で発見され、2002年に回収されて、今は麓の倶知安町の風土館に展示されています。

倶知安風土館に展示されたゼロ戦の翼
せいごう
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ずいぶん長くなりましたね! 今日はこのくらいにします。

次回はマスコミで騒がれている蘭越町の掘削現場のガス噴出事故や、登山中に見た花、付近の風景などをお知らせします。
お楽しみに!

CONT.

コメント

  1. 堀口昌之助 より:

    何回も行ったところですが、知らなかったことばかりです。流石、ニセコ北海道博士ですな。これからも、知らないお話、を送ってください。楽しみにしています。

  2. 白木 より:

    中野さま、自分は十勝在住ですが、スキーに狂っていた時代は良い雪を求めて、ニセコには毎年の冬に相当通いました。
    オーストラリアの講師がチセヌプリで講習をするので、新雪が多いチセが多かったですが、アンヌプリも何度も行きました。
    Uチューブの新雪滑走は昔を思い出して、本当に楽しさが伝わって来ました。
    夏のニセコ訪問は残念ながらありませんが、景色も良く、歴史遺産もあるようで、ご紹介ありがとうございます。
    山スキーなどを楽しむならば、日高山脈なら日勝道路の道路わきからシールで登つて滑るコースや、黒岳、旭岳のロープウェイを降りて少し登りまして、ロープウェイの下を滑走するのも素晴らしかったです。
    次の投稿をお待ちしております。

  3. 堀内 法子 より:

    ニセコは数年前にメンバーの方のお誘いを受け、
    夏に2週間程お伺いし愉しく過ごさせて頂きましたが、
    スキーが苦手な私には、
    尾根伝いのスキーって怖そうに見えますネ~❗🤔

  4. 堀内 法子 より:

    冬の避寒に足腰が弱ったら、国内でのLSライフを模索しており
    沖縄本島は年金生活者には高そうなので
    離島を考えておりますので、
    大変参考になりましたヨ~❗
    有難う御座いました🤗